プロセスという名の今

若い人にはよくあることかもしれないが、私はとにかく効率の悪いことがとても嫌いだ。

 
まず取り組む前に、手順を決めてどうしたら一番早く終わらせられるかを考える。
PCを使うときはショートカットを使ってなるべくキーボードから手を離さなくていい方法を考えるし、運転するときも色んなプロ・コンを考えて道順を決めている。(物理的な近道が、必ずしも近道とは限らないこともあるetc...)
 
私はとにかく、目的地に速やかに到着したいタイプである。
時間の指定があれば、その時間通りに。
目標達成のために、計画を練り、目的地ばかりを見ていた。
 
ところが、最近その私の人生観を覆すような出来事があった。

 

私は去年の10月から、持病の双極性障害が悪化したせいで、休職を余儀なくされていた。
ベッドから起き上がれないような酷い鬱から抜け出した後、次の壁は社会との接触だった。もちろんここでいう社会とはまだ勤めている会社のことではなくて、たとえばスーパーに行って店員さんに話しかけられるとき(話しかけられると言ってもごくごく通常の会話で、「お箸は入れますか?」くらいだ)、通院している病院で受付のお姉さんと言葉を交わすとき(これも「診察室は〇番です」くらい)、もしくはごく稀に事情を知る親しい友達に会うときなど。
だが鬱から抜け出したばかりの私には、何もかもが恐ろしく思えた。
よく考えるとそれは、上記で述べた私の目的地に速やかにたどり着こうと思う癖が邪魔するせいだった。
 
具体的に言うと、まず行動を起こす前に、すべての手順を考えることが、この場合よく作用しなかった。
 
そう、まずボサボサの髪を梳いて、せめてジーパンに着替えたらもう一度髪をきちんと結びなおそう。中途半端な髪が手に負えなくなってきたので、そろそろ美容室に行かなければ。でもまだ行きつけの美容師さんの顔を見る気力も元気も蓄えられてないし・・・。そう思いながら鏡の中の自分を見つめていると、青ざめて泣きはらした自分のなんとも不幸そうな顔に虚しさと悲しみが込み上げてくる。スーパーに行ったら、あれとこれを買って、でももしかしたら、あれはあのスーパーにはないかもしれない。そしたら違うところにも行かないと・・・。やっぱり最初から大きなスーパーに行くべきだろうか?もしスーパーで知り合いに出くわしたらどうしよう?仕事のことを聞かれたら?サボっていると思われたら?そもそも行く途中で車に轢かれてしまったらどうしよう。病院に運ばれたら、誰にまず最初に連絡が行くだろう?彼にはきちんと連絡が行くだろうか・・・。
 
大げさである。客観的に見ると大げさ以外の何物でもないと私だって断言できる。
でも、ほぼ鬱状態の私には、これが目の前にあるような気がする山積みの問題であって、これをどうにかしないことには、立ち上がれないのだ。
 
こんなことが何週間も続いた。当たり前だが私は自信なんてすっかりなくしていた。
 
ここで救いの手を差し伸べ、そして今は習慣となってくれたことを一緒に実践してくれたのが彼だ。
 
彼はいつも、とにかく行こう、と言った。
私がしくしく泣いていようが、髪がボサボサだろうが、コートを着せて、チャックを上まで引き上げてくれ、私の手を引いて玄関の扉を開けてくれた。時には靴を履かせてくれることさえあった。
 
そんな時は、いざ出かけてみても、私は彼のコートを掴んで、そばを離れられなかった。大きい彼の背中に、誰からかも分からないまま必死に隠れていた。スーパーでは、アボカドが欲しいのか、お寿司が欲しいのか、はたまたポテトチップスが欲しいのかも分からず、決められず。でも彼は早くしてなんて言わなかった。分からないなら、また今度にしたらいい。スーパーで泣き出したり思考停止したりすることもたくさんあったけど、彼はまた、そんな私の手を引いて家に連れて帰ってくれた。
この数ヶ月のうちに、何度も何度もそんなことがあった。鬱でもお腹は空くわけだから、スーパーに行かないといけない。何度も何度もくじけそうになっては、彼が私の手を引いてはじめの一歩の勇気を分けてくれた。
 
そのうち、スーパーで歩いていても彼のコートを掴んでいなくても平気なようになった。
欲しいと思うものが出てきて、彼を離れて自分で欲しいものを探すようになった。
 
そうするうち、少しずつ自信がついてきて、コツもつかめてきた。
 
彼が教えてくれた大切なことは、とにかく扉を開けてみようということ。
 
目的地にたどり着くには、最適なプロセスを探ることも大切だけど、その途中で失敗したっていいじゃないか。とにかく物理的に動くことだ。それが今しなければいけない、最初のプロセスなのだ。
 
要するに次のことはさておき、どこかに出かけるならまず、言葉通り玄関の扉を開けるだけでいい!
 
次に起こることは、次が今になったときに考える。
 
だから、手の中にあるヘアゴムを眺めていて、涙が浮かんでくるときは、泣きながらでもとにかくそのヘアゴムで髪を結った。それでひとつ。その後またいやになって計画を断念することももちろんあったけど、段々とひとつずつが上手くいくようになってきた。
 
「プロセスを楽しむ」という言葉はすごく使い古された言葉だけど、今回やっと私のものになった気がする。時間や効率にとらわれすぎず、今に集中することで逆に違うことも見えてきた。
 
例えば先週からパートで復職したのだが、以前のように、10分単位で何をすべきかを前もって決めるのではなく、今日は何を着ようかなーと適当な時間に着替えて、なんとなくメイクを済ませて・・・といった調子でなんとなく仕事に行けている。以前はオフィスへの到着時間も、きっかり10分前にと決めていたが、正直なところ半年の休職から復職したばかりの私に、もう5分前だとか、3分遅刻だとか鬼の形相で私を叱るような人は有難いことに私の職場にはいないではないか、と気づき出社前にチクタクと秒針の音が頭に響くほど時計を凝視していた習慣もやめ、なんとなくの時間に出社するようになったが、遅刻はまだない。
 
次のことを心配することを止めようとする習慣は、私の中でまだ定まったわけではない。
これからあと2ヶ月。辛抱しながら私の悪い週間を断ち切る。まずは3ヶ月が目標だ。
 
でも目覚めたとき、カーテンを開けて清々しい気持ちで笑顔すら出てくる今に私はとても満足している。