あなたは自分の右腕をいくらで売りますか?
例えばもしあなたが、この地球に人類が誕生してからこの世に生きた全ての人々の、人生の教訓が書かれた、いわば歴史上全人類の虎の巻を手に入れたとしよう。
あなたはありとあらゆる教訓を学び、どんな失敗を犯したら、どんな結果を招くか、
逆にどんなことをすれば、成功へとあなたを導くのか。
何千何億、何兆という数の方法を見つけることができるだろう。
ところがここに問題がある。
あなたはそれをどうするか?
ここに人間のエゴがあり、何より教養、つまり知識不足があると私は思う。
かつて私がそうだった。
私は科学を猛烈に信じていた時期があった。
科学は全てを物理的に証明するし、それは物事の論理的な説明へと繋がる。
私はそれが好きだった。
コントロール出来ない感情で物事を決めることがいけないことだと思い込み、証明のつく論理が正しいことだと思っていた。科学的根拠がない空論だけのような人が書いた、「幸せな人生を送るには」などと言った本を読むなんて以ての外だった。
ところが当時私が知らなかったのは、今日の科学で分からないことは、文字通り予測出来ないほど無限にある、ということであった。
今日まで常識であり正義であった科学的根拠が、明日の研究で覆った時、定義そのものが崩れ落ちてしまうということだ。
分かりにくい表現かもしれないので、私の実際の体験談を紹介しよう。
母にはかなり不評な例えではあったが、私にとっては大きな学びだったのでこれにする。
私は学生のころ、理科科目を学ぶことが好きだった。
特に物理、科学、化学。全てに公式やその証拠があって、私は何も疑わずそれが真実だと思い込んでいた。私は科学の最先端の常識を学んでいる。これが今日の世界の常識であると教えられ、それを信じて疑わなかった。
ところがである。
高校生のある時、世界に衝撃のニュースが流れ、物理の先生たちは興奮した面持ちで教壇に立っていた。
「ニュートリノ」という新しい物質が発見されたのである。
ニュートリノとは、これまで史上最速とされていた、「光」より速く移動できる(かもしれない)物質である。これまで「光より速く移動できるものはない」と定義されていた物理の根底が覆されるかもしれないということだった。
簡単にいうと、これまで
1×1=1
という定義のもと成り立っていた全ての計算が、ある日突然
1×1=2
と言うことになりました!と言うことである。
もちろんあなたは、九九を覚え直さないといけないし、足し算の方法だって変わってくるかもしれない。あなたが昨日まで当たり前だと思っていたことが、今日、非常識になるのである。
ここで私は考えた。
ニュートリノが本当に存在するかどうか、もし本当に存在すれば人間は瞬間移動が近い将来できるようになるかもしれないと言う未だ不明確な事実はさておき、
高校生の私は考えた。
私はこれから、どうやって本物の真実とそうでないものを見分け、信じていけばいいのだろう。
たった物理の世界の奇妙な1つの研究で大げさな反応だろうと思うかもしれない。
しかしそれ以来、未だに私は迷走してしまっている。
人生の指針や基盤を失ってしまった。
当時本を大量に読んでいた私だったが、読む本を慎重に選ぶようになった。
読む本の量は格段に減った。2019年になった今も、そうである。
しかし先日、もしからしたらこう言うことかもしれない、と思った本の一節があったので紹介してこの回を締めくくりたい。
D・カーネギーの名著『道は開ける』からの一文だ。
「あなたは両目を10億ドル(約1,000億円)で手放す気があるだろうか?
(中略)
私たちにはこれらの真価がわかっているだろうか?」
もしあなたが、あなたの右腕をお金と換算することができなければ、私と一緒だ。
これは私の途中結論でしかないが、私は間違っていた。
私の人生の指針や基盤は、自分の外で決められていることであってはいけない。
科学や、ソクラテスの人生観や、波乱万丈のハリウッドスターの豪遊生活に基づくものであってはいけない。
私たちはそれらから無限のことを学ぶことができる。しかし本当の勝負はそこからだ。
あなたはその学びや発見と共に、どんなあなたの人生を創って行くか。
Life is always to be a better person than yesterday, love.