田舎のダイバーシティ
外国人観光客が溢れかえる都会では、誰しもが一度は聞かれたことがあるであろうこちらの質問。
「ハーフですか?」(もしくは突然英語で話し掛けられる)
地元の高校を出てから、縁あって京都で数年を過ごしたことがある。
文字通り道ゆけばこの質問をされた。
学校に行けば、道で居酒屋に勧誘されれば、道で変なお兄さんに話かけられれば、バイトに行けば、仕事に行けば、どこかしこで聞かれまくった。
不思議には思いながらも、当時確かに私はすでに英語を習得していたし、京都だからよくあることだろうと思った。
日本語を外国人がどうやって習得するのか学びたくて、学校で日本語のクラスを取っていた時、生粋のペルー人の友達が隣にいながら、先生に質問の回答を最後に回され、日本語がとても上手ですねと驚かれたが、笑ってごまかした。
もちろんその授業の成績は抜群によかった。
食堂で焼き魚定食を注文して、女将さんがスプーンとフォークを差し出してきて、冷奴には醤油をかけて食べるんだよと、無言で必死にジェスチャーしてくれた時も、優しさだからと、なるベくフォークで焼き魚を食べた。
お勘定は「Thank you」と笑顔で言ったが、その後は一度も行っていない。
ところが地元に帰ってきてからのこと。
地元とは言っても、以前書いた私の生まれ故郷に仕事らしい仕事なんてないので、大きめの街に行って就職していた。
誰でもというわけにはいかないが、特に年配の方は私の僻地のことをよくご存知である。にも関わらず!
「何人とのハーフなの?」
ここで注記しておきたいが、この大きめの街ですら、外国人はほとんどいない。
もし街で見かけたら振り返って二度見してしまうほどだ。
というわけでもちろん、私はこの職場で英語を話すことはほとんどない。
「おはようございます」
と日本語で毎朝事務所のご近所さんにも挨拶している。
ところが、数少ない外国人の友達と街へ出かけると、街で出会った日本人の方から興味津々で中国系オーストラリア人(もちろん彼女は生まれも育ちもオーストラリアで、母国語は英語、日本語はほとんど話せない。)の友達を飛び越えて、
「Where are you from? どの国から来たの?」という質問が私にももれなく回ってくる。強靭なメンタル、屈曲な皮肉屋、もしくはもはや超がつくほどの正直者であれば、「あなたと同じです」と簡単に答えるだろうが、私は今だにどっちつかずだ。
運悪くその質問が後で記念撮影が先の場合は、私もちゃっかり、「街で偶然会った外人達とセルフィー☆」に押し込まれてしまうのである。
愚かなことに、私はファッションは好きだけれど、他人が自分をどう見ているかをあまり気にしていないらしい。
つまり、外国人に見られる可能性があるということを毎回すっかり忘れてしまうのだ。
かつて地元の誰もが知る制服を来て、通学のために毎日通っていた通りにあるピザ屋さんで、つい先日、迷いもせず英語メニューを出されることに驚いてしまうのは、可能性を忘れてしまう私が悪いに違いない。
しかし私はそんな小さなことは(普段)気にしていない。
こんな街で普段私の隣を歩くのは、何を隠そうジャマイカ人。
身長192㎝の黒人である。
今日も誰かが私を外国人だと思っているかもしれない。
でもここではそれは大きな問題ではない。
「ハーフっぽい」私はその次、
彼らの興味は今、奇妙なことに日本語を流暢に操る、彼らが見たこともないような巨大な黒人なのだから。
人生とはこんなものである。