結局、英語を学ぶってこういうことじゃない?
私は、バイリンガルだ。
じゃあ実際どれくらい喋れるかというと、学生の頃カナダでホームステイをした時、初日に家の中の案内(洗濯機の使い方とか、シャワーは水が限られているから絶対に10分以内にしてとか)をホストマザーがしていて、彼女の説明に対して、私が全てあっさりオーケーというので、彼女は私に、本当に理解しているのか、ただ初日だから理解しているフリをしているのか分からないんだけど、と逆に質問したほど、
できる。
(この家にステイした他の留学生たちはかなり出来が悪かったらしい。)
ところがである。
私が暮らしたことのある日本の街いずれにしても、私の英語はほとんど役に立たない。
日常で英語が役立つ時と言えば、コンビニで謎の新商品が出たとき、一体中に何が入っているか全く理解出来ない商品名の下に小さく書かれている、時にダイレクトすぎる英語を理解することが出来て、少しだけ、ほんの少しだけその商業開発者と密かな意思疎通が出来たような気がする時ぐらいである。
(日本で他にも同じような思いをしている人がいれば是非知り合いたい)
もちろん、事実を言えば、私はこれまでの仕事の全てを英語ができるからという理由で採用されてきた。それは私の一つの功績であると言えよう。
じゃあいいじゃない、と思ったあなた。違うんです。
実際職場に入ってから、私の英語能力が発揮されたかというと…
英語ってそういうものじゃないことも、学校で教えるべきである。
英語はあくまでコミュニケーションツールであって、コミュニケーションをとるためには経験や技術、自分の意見が必要だと。
こう例えてみよう。
あなたが不動産会社の社員だったとしよう。
あなたは不動産業界の仕組みや金回り、専門用語やそれをお客様に分かりやすく伝えるためにどう説明したらいいかを知っているだろう。
もしかしたら、宅建の免許だって持っているかもしれない。
ここでやっと、あなたは話す「内容」が出来た。
英語はここからやっと役立つのだ。
相手がいる時、その「内容」をコミュニケートするツールとして。
もしあなたが不動産会社の新入りだったら、同じ日本人だったとしても、先輩たちが何を言っているか分からないだろう。地域が違ったら、地名が分からず経験者でも困るかもしれない。
「文法」が分からないんじゃない。
「単語」が分からないのだ。
今、英語は話せるけれど、専門用語が分からない私はまさにこの状態である。
これを甘く見ている人もいるかもしれない。
いや、むしろボキャブラリーを増やすことが最も大きな壁と思い込み、英語を習得したいと5年言っているけど、「can」と「could」の違いまで到達出来てない大勢の人々は正しいのかもしれない。
「英語を習得したい」というのが、もはやトレンドワードのように世間を行き来しているが、「何に使うための」ものかを絞り、そこからスタートした方が、効率的な学習方法だと私は信じている。
電気技術のために使いたい方は、自分が持っている電化製品の裏を見ることから始めていいかもしれない。分からない単語はググって見るといい。そのうち、「おや、この単語はさっきのテレビの裏でも見たぞ」というふうで勝手に専門英語を覚えていく。文法なんてもっともっと後回しでいい。
街でカッコよくナンパしたい人は、ジャスティン・ビーバーやドレイクの歌をYoutubeで聞いてみるといい。聞こえた単語だけでいいので調べてみると「そうだったんだー!」があるかもしれない。クールな英語は日本語の女子高生たちが日々ツイッターで生み出しているものと似たりよったりなので、文法など必要ない。(はずだ。)
何もみんながみんな、高い授業料を払いながら英会話教室で週に1回、テキストを広げて、実は日本語ぺらぺらのネイティブ先生と「Hello, how are you?」を繰り返す必要などない。
言語はコミュケーションのためのツールであって、あくまで生活の中に根付いている。
いつの日か、どこか夢の国で使えるかもしれない秘密のパスワードではないのだ。