人生初のカウンセリング

先日、人生で初めてカウンセリングを受けた。

 

この病気になって8年、節々でカウンセリングを受けて見たいとお医者さんに相談はしていたものの、今は適時ではないと言われたり、私はそもそもカウンセリングには向いていないのではと言うお医者さんもいて、実現しなかった。

 

そんな私が、もう一度挑戦してみようと思ったきっかけは2つ。

・パートナーが試してみたらと勧めてくれた。

・急性期のリハビリにも勤めたことのあるPTの兄の、私のパニックへの対応がものすごく良くて驚き、やっぱり同じ話でもきちんと知識のある人に聞いてもらったら違いが生まれるんじゃないかと思い始めた。

 

アメリカのドラマや映画のシーンには、度々出てくる、カウンセリングのシーン。背もたれが倒されたソファに横になり、カウンセラーは相槌を打ちながらメモを取る。病室と言うより、普通の自宅のような環境で、カジュアルに思ったことを話しているのが、私の唯一のカウンセリングの知識だった。

 

私は通院している病院でカウンセリングを受けることを決めた。

カウンセリングの日程が決まってから、かなり緊張していた。どんな様子になるのか全く想像できないことと、そして期待からだ。

 

私には、協力的な家族と、パートナー、そして友人たちがいる。

私が望めばいつでも話を聞いてくれるスタンスを築いてくれている。

 

パートナーは特に、どんな話でもしやすい。

外国人ということと、彼の性格も大いに関係しているが、社会の常識やプレッシャーの枠にとらわれずに、人間として何が正しいか、難しいか、そんなことを話してくれる。

 

でも誰にも話せないことがある。

みんなが真摯に向き合ってくれるからこそ、言えないこと。傷つけたくないから。

でもその想いはいつも巡ってくる。

それが病気だとは分かっていても、その想いと向き合い続けるのが時々辛くなる。

 

例えば、死にたいと思った時。

死にたいと口にした時の、段々と悲しみの色が深くなっていく母の目は、見ていられるものではない。

死にたい、そんなの駄目だと口論になっている時の父の怒りに満ちた目を見ると、もういっそ殺してくれと嘆願しそうになる。

 

実際問題、死にたい時はいくらでもある。

もうかれこれ1年以上体調が万全ではなく、仕事もできず、問題が山積みの生活を送っているので、度々そういう瞬間は訪れる。そういう時は、現状一人で闘うしかない。口に出して相手の反応を見たりすると余計感情的になったり、逆にムキになったりするのが良くないので、大体ベッドで横になり、泣きながら眠ろうとする。少し眠ると気分が変わるので、それだけを望みに眠る。

 

そういう時の気持ちの整理を、手伝って欲しいと思った。

誰にも話したくない、病気かもしれないけど、確かにそこにある気持ち。

 

初回のカウンセリングは、結論から言うとすごく良かった。

私はなんとなく、初めは病気になった経緯を話すものかと思っていた。

誰にとってもそうだろうけど、病気になった経緯なんて楽しい話じゃないし、話すのもすごく辛い。

 

でもカウンセリングは、最近ハマっているものはありますか、と言う極簡単な質問から始まった。

カウンセラーの先生は、多分私の兄と同じくらいの歳で、物腰の柔らかい人だった。

私は最近ハマっている、くだらないゲームの話をした。

それから家族のこと。その延長でどう言う風に育てられたかという話をした。

家族のことで感情的になり、涙が出たけど、大丈夫ですよと仰ってくれた。

泣いたり、時々笑ったりもして、約1時間のカウンセリングは終わった。あっという間だった。

 

今回の体験では、お金を払ってでも、これは私には向いていると思った。

普段、私ばかり話すぎているんじゃないかとか、こんな話はつまらないんじゃないかとか、相手の話も聞かないといけないと言う思いから、自分の話をセーブしがちだけど、話す人・聞く人とハッキリ線引きがある中で話すと、そういった心配をせずに話せるので、日常にはない感覚だなと思った。

 

私は現時点では、カウンセリングに病気や気分の著しい改善は望んでない。

ただ、今までとは違う視点や選択肢を持っていたい。そうやって進めていく中で、いつかプラスαの要素が生まれてくれば、なお良いと言う感覚だ。

 

次の予約は2週間後。

すでに、前回の内容が良かったのかどうか心配し始めているが、なるべく自分で判断しないようにして、不安なことはカウンセラーやドクターに相談したい。

 

でも次の機会が楽しみでもある。